前回、大神神社にお参りしたときは、三輪山へ登ることはできなかった。
登山の際は届け出が必要で、届け出の締め切りは正午。
締め切り時間をとっくに過ぎてしまっていたのだ。
でもこうしてまた、来ることができた。
準備もOK。
出発だ。
木陰の道を渓流に沿ってリズミカルに登り始める。
ゆるやかな上り坂。清らかな流れは、甘い水だ。
すぐに暑くなった。
ラッシュガードはぬいでしまおう。
それに、こんな時に花粉症だろうか
鼻がつまるようで正しい呼吸ができない。
体が熱すぎて、息があがる。
まずは修行の滝まで辿りついた。
涼し気な小屋の中のベンチに腰を下ろす。ふぅ。
おかしいな、登り始めたばかりなのに
なんだろうこの疲れは?
滝のあとは、木々のある斜面をのぼっていく。
途中で何度も立ち止って、息を整える。
しんどい。頂上までもつかな?
先生が立ち止まって待ってくれる。
でも、もう少しで追いつく、と思うとひょいと先に行ってしまう。
にんじんを鼻の先につるされた馬は、かような気分なのだろうか。
それか、虹を追いかけるとこんな気分になるのだろうか。
・・・辿りつけるのかな?
毎日2時間の平地ウォーキングで準備したつもりだったけど、
全然足りなかった。大反省だ。
そのうちに大きな石がそこかしこに見え始める。
そして、大きな磐座が目の前に現れる。
磐座で、感謝の祈り。
でもそのあとも、苦しい昇り道は続く。
こんなんで頂上まで行けるかな?
もう、頭もぼーっとしてなんだかよくわからない、
ただ上へ上へと足を動かすだけだった。
くねくねと曲がりながら、長い坂道を登る。
ああ・・・
数霊の教科書に描いてある山の道にそっくりだ・・・
アシュタールは私に、苦手なことを「やってごらん」と言い、
隠者さんは「やりたくないことはやらなくていい」と言う。
苦しいから、ここで「もうムリ、やめた」と言うこともできる。
でも頂上に行くためには、やりたくないこともやらなきゃいけないんだ・・・。
⑦の守護だから、楽しいと思うことだけやればよいのかとも思ったけど
それではきっと、どこにも辿りつけないのだろう。
この時初めて、「辿りつけるかな?」ではなくて
「辿りつきたい」と思った。
ふと見上げると祠がある。
「ここまで来たら、もうすぐですよ。」先生が励ましてくれる。
何とかここまで来られたことを感謝して、頂上に向かう。
そしてようやく、ようやく、ようやく頂上に到着。
ああ空気が、光が、空間が違う。
ザーッ・・・
ここまで来てよかったな・・・。
すばらしく気持ちのよい、涼やかな風に吹かれながら
私はすこしずつ、登り道で考えたことを言葉にしてみた。
先生はいつものように優しく話を聞いてくれた。
さて、下り。
先生はぴょんぴょん遊ぶように山を下りる。
私のほうはまたペースを落としてしまったけど
それでも無事ふもとに到着。
鳥居をくぐりながら、頂上まで行って本当によかったと思った。
なにしろ自分が辿りつきたくて、辿りついたのだ。
それから、近くの三輪そうめんの店に入った。
お昼ごはんにちょうどよい時間だ。
エアコンの効いた店内で椅子に座り、一息。
楽しみしていたおそうめんが運ばれてきたのを見て
思わず「うわぁ!」と声をあげてしまった。
青い竹を割った中に、砕いた氷がぎゅっと敷かれ
その上に乗った真っ白いおそうめんは、渓流のようだ。
体の中にこもった熱もすーっと引いていく。
青いモミジの葉、さくらんぼ。
しょうがと大葉、ねぎの薬味も添えられている。
「がんばって登ったご褒美ですよ」
先生がにっこり言う。
初めていただいた三輪そうめんは、本当においしかった。
それにしても
なんで先生はあんなに軽々と山を登り降りするんだろう?
ふつうの重力体系の影響はうけないんだろうか?