天と地のあわいにて 〜数霊遊行録〜

天と地のあわいでひらかれる、数霊の記録。

はじめに

ようこそお越しくださいました。

このブログは、**数霊(かずたま)**の老師と共に歩んだ、 神社仏閣での体験、学び、そして 目には見えない世界からの“しるし”を記録する場です。

数には、意味があります。 偶然のように現れる数字、 なぜか心に残る数の並び、 祈りの場でふと浮かび上がる数──

それらは、神々や高次の存在からの 静かな対話、そして数は周波数でありエネルギーであると老師は教えてくれました。

このブログに綴られているのは、 教科書的な解説でも、答え合わせでもありません。

・神社仏閣で実際に起きたこと ・数霊の先生の言葉 ・そのとき、わたしの内側で響いた感覚

それらを、そのまま記しています。

「サルドテル」という名は、 アシュタールから伝えられた、 私自身の遠い時代の呼び名でした。

そして老師は、 アシュタールの系譜を知る存在でもあります。

それが象徴なのか、記憶なのか、 あるいは別の次元の話なのかは、 読む方に委ねたいと思います。

ここに書かれていることが、 そのまま真実である必要はありません。

ただ、もしあなたの内側で 「何かが触れた」「なぜか気になる」 そんな感覚が生まれたなら──

それもまた、数霊からの呼びかけなのかもしれません。

 

※この記録は、理解を求めるためのものではありません。

必要な方にのみ、お入りくださいませ。

しあわせの才能

確か一昨年の、12月のある日

鞍馬山のふもとで甘酒をいただいた。

 

山も空もひんやりと澄み切り、吐く息が白かった。

手にした甘酒から、ほんわり湯気が立ち上る。

ああ、あったかくてあまい。

しあわせだなと思い、そう言ってみた。

老師は優しく笑う。

「それが大事です。」

「大事?」

 

それなら、と私は

昨日は夜のバス停で寒くて震えたが、

家に帰ってすぐお湯につかったら

あったかくてしあわせだとじんわり感じたことを

話してみた。

 

老師はうなずく。

「今度は、寒いバス停で凍えている時も、

お風呂のことを考えれば

しあわせな気持ちになれるでしょう?」

 

「僕は、しあわせになるのは才能だと思っています。」

「・・・才能?」

「才能だから、伸ばすことができますよ。」

 

 

思い出したら、なんだかまたしあわせな気持ちになる。

 

夕方から、雪がちらつくらしい。

 

 

 

 

 

趣味

 

ホメオパシーに「アコナイト」というレメディーがある。

「アコナイト」の原料はトリカブト

紫色のきれいな花をつける高山植物

猛毒だが、正しく使えば薬にもなる。

 

「老師、トリカブトって薬にもなるのに、

一般的には悪い植物だと言われますよね。」

 老師は淡々と言う。

「もともと良いも悪いもありません。

ただ成分としてアルカロイド(自然毒)を

含む、というだけです。

その事実に対して人間が勝手に

良い、悪いと言っているだけですよ。」

・・・!

「勝手に悪いと言われてもねぇ。

トリカブトからすれば、いい迷惑なわけで・・・。」

老師が困惑したように言う。

トリカブトも困惑しているだろうと連想して、大爆笑だ。

 

でもそのあとじわじわ効いてきた。

 

毎日起こる出来事を、判断している。

良い、悪い、嬉しい、悲しい

ラッキーだった、残念だった・・・

これ全部、勝手に自分がそう感じているに

すぎないということ?

 

確かに、勘違い、誤解・・・あるあるだ。

事実とは違うとあとからわかって

「なーんだ!」とほっとしたり。

 

思い違いだった、思い込みだった、

なんなら自分の妄想だった、幻想だった

と気づいたり。

そんな時はどっと疲れてしまうけど

ぜんぶ妄想?

ひとりで勝手に疲れているということ?

 

溜息をつきながら、問うてみる。

「なんでこんなに妄想するんでしょうね?」

老師はちらっと笑いながらのたまう。

「それはきっと・・・趣味でしょう。」 

 !!!!!!!!!

趣味!

いやその趣味、楽しめないし!

やりがいもないし!

いやそんな趣味、意味ないですから!

 

鏡面

大好きなヘブライ文字を書く練習をする。

ヘブライ語は、昔の日本のように

文字を右から左に書く。

テキストには、わかりやすいように

読みがひらがなでふられているが

そのひらがなも右から左に向かっている。

 

単語を声に出しながら書く。

正しい発音も忘れないように、ひらがなも書く。

するとどうしたわけか、ひらがなが鏡文字になってしまう。

すん・・・。

右から左に書くからだろうか?

またやってしまった・・・。

気をつけて書くが、なぜかまたすぐ鏡文字になる。

 

ふと浮かぶのが、大神神社の境内の池だ。

かがやく池のほとりに、

市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ)がある。

市杵島姫命は海の神、水の神であり、

芸能をつかさどる弁天さまとしても親しまれている。

 

池は鏡面となり、水面に空や雲、

すっとのびた樹木を上下に反転して映す。

本体と影が幾何学的な構図になる。

「顕界と幽界をあらわすと言われます。」

たしか老師はそう言っていた。

 

あれ・・・

自分の書いた鏡文字を見て、私は思う。

特別な場所に行かなくても

幽界は、どこにでも存在するんだな・・・

そして顕界と幽界の間の境目も・・・。

 

 

市杵島姫神

 

 

履物をそろえる

先日、老師と氣がエネルギーであり型であるという話をした。

それから、剣道、柔道、華道、書道、茶道そして空手道につく「道」。

とりあえず「かたち」から入るというのも悪いだけではないのかも?

そう考えた私は、次の機会に質問した。

 

「老師、かたちから入る、って悪いことですか?」

「現在は悪い意味でとられますが、もともとの意味は違いますよ。」

やっぱり!

 

「例えば、履物をそろえなさい、を英語にすると

Place your shoes properly after you take them off.

でも日本人にとって履物をそろえるという所作は

ただ脱いだ靴をそろえるだけではないですよね?」

 

私はうなずく。

かがんで靴をそろえる。一瞬止まって、

そして立ち上がる。

 

「では、襟を正す、はどうでしょう?」

襟・・・

そういえば華道の先生は、よく崩れてもいない衿を指先で整えていた

・・・扇子を閉じるパチンという音が、怖かったな・・・。

思い浮かべると、背筋がぴしっと伸びる。

「ただ単に、衣服を整えるだけではないですね?」

私はうなずく。

 

「日本人独特の感覚でしょう。まずは型を身に着ける。」

 

書道で、墨をするのも同じかな・・・

英語だとrub down an ink-stick

まあ確かにその通りだけど。

 

背筋をすっと伸ばす。

一瞬止まってそれから、墨を手に取る。

しゅっ、しゅっ、しゅっ。

音を聞くことに集中する。

 

あれ?こうしてみると、いつも「間」がある?

 

「老師、書道で、墨をするのも同じことですよね。」

「そう、墨をするのも同じです。」

「では、これからなるべく墨をするようにします!」

老師はにっこり言う。

「・・・まあ僕は筆ペンを使いますけどね」

「え」

 

調べてみると、この「履物をそろえる」⇒

脚下照顧(きゃっかしょうこ)と言い、

曹洞宗の開祖である道元禅師は日々の修行の一つとしていた、

とあった。

 

それにしても、所作のところどころに出てくる「間」これは

なんだろう?

筆ペンの話で大笑いになり聞きそびれたが、どうも気になる。

 

 

 

しきしまの大和のくには言霊の

最近またヘブライ語の勉強を始めた。

また、というのはこれまでヘブライ語の勉強を始めたことはあるが、

いずれも3日坊主×3回で終わってしまったからだ。

私には独学が向いていないようだ。

でも今回は先生がいて、勉強仲間もいるのでとても楽しく続いている。

 

さて、そのヘブライ語の勉強を始めて数か月すぎたここ数日、

とても美しいことが起こる。

朝の夢うつつのときだ。

 

言葉の意味は思い出せないのに

音がいくつも、響く。

音は、私には読めない文字となり、空中を舞う。

右回りに、左回りに、上に向かって

きらきら輝きながら舞い

自分たちの場所を探している。

 

いくつもの文字の中から、אור(オール)が私の前に出てくる。

私の中で、ヘブライ文字と音が一致する数少ない言葉の一つ。

אור(オール)は舞台挨拶のように、上から輝く光を浴びている。

と見る間に「光」という漢字にかわる。

なんと美しい光景か。

 

嬉しくてたまらない気持ちが心臓からあふれ、

体中に広がって、さらに上に向かう。

 

同時に柿本人麻呂が浮かんだ。

あこがれているからだろうか。

四季の情景や情緒を、57577の中に永遠に閉じ込めた歌詠みの神様。

私もあんな風に言葉を遣うことができたら、といつも思う。

でもこんな事が起こるのだ、きっと、目指せと言われている!

そう思うことに決めた。

 

 

 

穂高神社末社 歌神社

 

ソドムとゴモラ

ソドムとゴモラと言えば、悪徳と退廃の街。旧約聖書には、悔い改めなかったため天からの硫黄と火で滅ぼされた、とある。今回ヘブライ語の授業で、このソドムについての話があった。「ミシュナー」と呼ばれる書物に出てくる、とても有名な話だそうだ。

 

楽しい授業も後半、いつものようにヘブライ語の先生が朗々とテキストを読み上げ、私たちは先生に続いて読む。

שֶׁלִּי שֶׁלִּי וְשֶׁלְּךָ שֶׁלָּךְ①

שֶׁלִּי שֶׁלְּךָ וְשֶׁלְּךָ שֶׁלִּי②

שֶׁלִּי שֶׁלְּךָ וְשֶׁלְּךָ שֶׁלָּךְ③

שֶׁלִּי שֶׁלִּי וְשֶׁלְּךָ שֶׁלִּי④

 

①私のものは、私のもの。あなたのものは、あなたのもの。

②私のものは、あなたのもの。あなたのものは、私のもの。

③私のものは、あなたのもの。あなたのものは、あなたのもの。

④私のものは、私のもの。あなたのものは、私のもの。

 

「さてこの中に、ソドムの悪人を表すタイプがあります、1つ1つ見ていきましょう。」

えっ!そうなの!思わずぐっと身を乗り出す。

 

「まず①、私のものは、私のもの。あなたのものは、あなたのもの。これは別に現代社会では普通、当たり前ですよね?普通の人。」

あ、私もこのタイプ。即決だ。

 

「次の②私のものは、あなたのもの。あなたのものは、私のもの。これは全部をわけあって生きている、共同生活をしているような感じでしょうか。」

共同生活・・・イスラエルキブツってこんな感じなのかな?

 

「③私のものは、あなたのもの。あなたのものは、あなたのもの。自分のものは全部さしだすけど、あなたのものは何もいらないよ、という与えてやまない人ですね。ミシュナーでは聖人だと言っています。」

与えてやまない人!私は、このタイプじゃないなぁ、残念だけど・・・。

 

「さて④私のものは、私のもの。あなたのものは、私のもの。・・ジャイアンですね」

あはは、俺のものは俺のもの、お前のものは俺のもの!ソドムの悪人、これ絶対このジャイアンタイプでしょ。

 

ヘブライ語の先生は続ける。「さて、ソドムの悪人、これは間違いなく最後の④だろうと思うのですが、そうではないのです。①私のものは、私のもの。あなたのものは、あなたのもの・・・」

え!?

うそ!?①ってわたし!?

 

「①私のものは、私のもの。あなたのものは、あなたのもの。これ普通では?普通はそうですよね?

けれどもここで見えてくるもの、それは、私とあなたがはっきりと区別されてしまっていて何も共有されていない、ということです。隣人に関する無関心、それがソドムが滅亡した理由であったと言う人もいるのです。」

 

え!

えええええええ!?

わたし!?滅びる!?

茫然としているうちに、ヘブライ語の授業は終わってしまった。

 

それはもう焦った私は授業終了と同時に速やかに老師にこの話をした。

すると、なんとも爽やかな答えがかえってきた。

「はい!その通りです。シェアが大事なのです。」

シェア!?

シェア!?

シェアします!!

 

 

*『ミシュナー』アヴォット5:10

אַרְבַּע מִדּוֹת בָּאָדָם. הָאוֹמֵר שֶׁלִּי שֶׁלִּי וְשֶׁלְּךָ שֶׁלָּךְ, זוֹ מִדָּה בֵינוֹנִית. וְיֵשׁ אוֹמְרִים, זוֹ מִדַּת סְדוֹם. שֶׁלִּי שֶׁלְּךָ וְשֶׁלְּךָ שֶׁלִּי, עַם הָאָרֶץ. שֶׁלִּי שֶׁלְּךָ וְשֶׁלְּךָ שֶׁלָּךְ, חָסִיד. שֶׁלִּי שֶׁלִּי וְשֶׁלְּךָ שֶׁלִּי, רָשָׁע: